自己紹介

 世の流れに流されながら生きることしかできない自分の在り方を見つめ直そうと、4年ほど勤めた会社を辞めたのは2003年2月のことでした。その後半年ほど旅をしたり引き篭もったりしながら自分を「解体」する作業をしていましたが、何かを創っていくこと、表現していくことが必要だと感じ、京都に移ってきたのを機にこのホームページを立ち上げました。それからしばらくこの場に文章を書くことを自分の仕事と捉え、「倫理」 という言葉をキーワードにして様々なことを考えてきました。
 昨年(2004年) 4月からは経済的な必要もあって、公立高校で理科(物理)の先生をしていました。高校生と接しながら色々実験などして充実していたのですが、学校というところはどうしても人をレールに乗せていく面が色濃く出るもので、それに加担するのが嫌でした。諸々考えた結果、結局12月末に退職しました。
 さて、じゃあこれからどうやって生きていこうか、というところですが、
自給自足的な共同体を目指そうと思っています。小規模な農業を生業としながら、ゴミのリサイクルやエネルギー自給などについて身近なところから実践的に考えていきたい。そんな風に地道な活動をしていくなかから有機的な人間関係を築いていけたらよいな、と。




関心があること (研究テーマ)
私を形づくるもの
略歴

 
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2005年9月14日
村山 邦彦


関心があること
(研究テーマ)


 1.倫理について
私が模索しているのは自分の従うべき 「倫理体系」 を確立し、それに拠って生きていくことです。
そもそも 「倫理」 とは一体何かとなると、実はそれ自体僕の重大な関心事でもあるのですが (笑)、
それではちょっと話にならないのでちょっとまとめてみます。 →  「倫理って一体?」

  主な関心
生を喜びとして生きていくための方法知を獲得し実践していくこと
 (実践倫理体系〜価値判断の体系〜帰納的アプローチ)

 ・生活知の洗い直し・実践 (挨拶をすること、早寝早起、正直であること、等など)
 ・様々な場面における判断基準の明確化
 ・身体性の回復
 ・表現活動(芸術活動)を自ら行なうこと、より洗練された方法を学び続けること

倫理体系に根拠を与える原理を追求すること
 (認識体系〜普遍性の追求〜演繹的アプローチ)

 言語(論理)を通じたアプローチ
  ・宇宙法則の科学的把握(科学全般、エントロピー、複雑系/散逸構造、ガイア理論)
  ・生命とは何をもって生命と呼ばれるのか(オートポイエーシス理論など)
  ・人間(生物)の欲望構造(無意識或いは行動パターン)の理解(精神分析学、生理学)
  ・共同体或いは文化と個の相関関係/集団の運動力学(社会学、文化人類学)
  ・言語の表現可能領域の把握(言語学)
  ・資本主義の運動メカニズムの理解(経済学)

 非言語領域へ(或いは「から」)のアプローチ
  ・芸術活動全般(文学、音楽、絵画、造形、パフォーマンスなどなど/鑑賞および実践)
  ・世界宗教(キリスト教、仏教、イスラム教)、アミニズム等の原始宗教の理解・実践
  ・超越(悟り)やシンクロニシティに関する理解・実践(精神世界)

。。。

風呂敷を広げすぎていてどのように収束させるのか、という問い(批判)はあるかと思いますが、
私が興味が持っているのは、あらゆる知の統合を目指すことです。
究極的な答えを得ることはありえないですが、そこへ近づこうと足掻く運動体であろうと思います。
農業をやりながらも、このテーマについては底流で考え続けていきます。

 2.農業を基盤とした新しい共同体の模索
2005年に入ってから、「自給自足」 という言葉を自分の中心テーマに据え、
物心両面における 「自立」 を模索しています。
そもそも本当の意味で 「自立」 とはどういうことなのか?
孤立ではなく、他者と共存していく自立、それはどんな形で展開されるものなのか?
生活のベースを 「農的暮らし」 に置くなかで、見通しが開けてくるのではないかと考え、
実践的な取り組みをはじめることにしました。


  主な関心
・農業を学ぶ

ただ単に伝統的なやり方を踏襲する(昔に戻る)というのではなく、
生物学(植物生態学)、土壌学などを十分に踏まえた科学的な方法をとりながら、
自然のなかの物質・エネルギー循環(あるいはエコシステム)を十分に意識して、
シンプルかつフレキシブルな農業を目指していきたいと考えています。
有機・無農薬栽培という方法を取る可能性が高いですが、
べつにそこにイデオロギーとしての意味を与える必要はないと思います。
常により良い方法を探していく、そしてそれを 「楽しむ」 スタンスでいこうと思っています。
そんでもって美味いものを食える訳ですから。

・自給的なエネルギーシステムの模索

現代の全ての産業は、化石燃料の圧倒的な有用性によって支えられています。
農業生産性が現在の高いレベルに維持できるのも、石油エネルギーを直接・間接的に用い
大量の窒素やリンなどの肥料を確保することができているからです。
ただし、このエネルギーはひょっとすると私たちの世代で尽きてしまうかもしれないものです。
徐々にエネルギー価格が上昇していき、確保が難しくなってきたとき、
私たちはどういう生活スタイルをとることができるのでしょうか。
20年〜50年ほど先の世界を予見し、取りうる道を実践的に模索したいと思っています。
実際にできるのは少し先かもしれませんが、風車・太陽光発電やバイオガス等を用いた、
自給型ローカルシステムの開発・実践を進めて行きたいと考えています。

・新しい社会・組織の模索

人は食べ物とエネルギーがあれば生きていけるというものではありません。
生存することと、生を充実したものにすることとの間には大きなギャップがあります。
では生を充実したものとして生き続けるためには、どうすればよいでしょうか?
それには自分が関わる社会のあり方を含めた、日常生活の形を見つめていく必要があります。
個人的な日常習慣も大切ですが、ここでの焦点は個と社会の関わりについてです。

現代社会においては、一人一人の意識の上では 「自我」 あるいは 「個」 に、
半ば絶対的な位置が与えられていますが、実際にはそんな絶対的な 「個」 などはありえません。
生命は皆 「種」 として活動していきますし、僕らを構成している一つ一つの細胞を考えてみても、
生命とは常に関わりの中に置かれています。それは人間だって例外ではありません。
もちろん、私たちは 「個」 を否定することなどできませんし、
そんなことをしたら、それはファシズムというものです。
(ちなみに私は国家主義という思考停止の習慣は大嫌いです。)
そもそも 「個」 というのは私たちの意識そのものとさえ言えるのです。
「個」 と 「全」、そのどちらか一方だけを取ればよいというのではなくて、
その間の動的な均衡を保ち続けなければなりません。
それは不断の闘いと言えるでしょう。(それが真の意味での 「政治」 と言えます。)

私はこのバランスを保つための知恵を模索していきたいと願っています。
単に、結果的にバランスすればよい、という話ではなくて、
積極的にそれを作り出していくためにはどうすればよいのか?
私たちにできることはないのか?
考えていく具体的なテーマは沢山あります。

お金、所有、権力構造(ヒエラルキー)への執着からの開放、
周囲(外の世界)に対しての関係、分業のあり方、ルール作りのプロセス、
前に進んでいくということ、愛・憎しみ、相互肯定・相互容認、
等等をどう捉えていくか。

そうした課題に向かう活動そのもののなかに、
新しい 「共同体」 の可能性が存在するのではないかと思っています。
「自給自足」 という言葉を使ってはいますが、それは社会的孤立を目指すものではなく、
むしろ、最小単位の社会でも自律的に機能できるようなシステムを模索し、
そこから国家を中心とする垂直構造に替わりうるような、
新しいリゾーム的な社会の可能性に賭けていきたいと考えているのです。
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私を形づくるもの


私の好きなこと、大切なこと、身につけたもの・身についちゃったものを列記。

読書(小説読むのが好き、でも最近は硬い文章が多い)、音楽鑑賞(60〜70年代ロックなど)、アコースティックギター演奏/歌を歌う、瞑想、水泳、ジョギング、スキー、散歩(自転車乗るのも含めて)、競馬(競馬場へ行くこと)、人と語る(濃い話をする)こと、毒舌、嘘をつかない(ようにしてるつもり)、テレビゲーム(最近はほとんどしてない)、旅をすること(移動の時間が好き)、皿洗い、睡眠時間9時間以上欲しい、煙草→喫煙歴13年、バーボン、ビールならエビス、カクテルならジン・トニック(バーテン経験)、HP作成(現在ホームページビルダーを使用)、詩を書くこと、やたら地べたに座りこむこと、河原でボォッとすること、山を眺めること、通りすがりの人を観察すること、木や鳥などの生き物を見ること、美味いものを食うこと、豚カツ、こってりラーメン、シザーサラダ、アールグレイのミルクティ、綺麗な女性、古いもの全般、京都、信州、NHK特集(今は部屋にテレビはないけど)、プリングルス、スニッカーズ、午後の紅茶ストレート、物理学(熱・統計力学および物性物理、物理化学)、英語(TOEIC 990点/翻訳or通訳の仕事ください...)、関西弁、フランス語・中国語(を勉強したい)、化学機械エンジニア経験、固体高分子型燃料電池に関する知識、自動車普通免許、尿酸値が高い、視線が宙を彷徨う、身長170cm/体重57kg (ピーク時に比べて約15キロ減)、掃除、スーパーのビニール袋を丁寧に畳む、毎日5〜6行の日記と家計簿をつける、金木犀の花、愛。

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略歴

1973.1.21 横浜に生まれる。
5歳頃まで東横線反町駅近くのマンションに住む。
ガッチャマン愛好。登園拒否児。
1979.4 〜 1985.3 神奈川県小田原市および湯河原町で公立小学校へ通う。
田圃や蜜柑畑、海と山に囲まれて育つ。
ソフトボールチームに所属(2番レフト)。運動神経は悪く、鈍足。
感情移入して台詞を読むのがうまく、学芸会では常に主役・準主役を張る。
優等生演技が周囲の鼻についたらしく「ぶりっこ」と呼ばれる。
ゲームと出会う。ゲームウォッチ(ボール)に始まり、
ファミコンが出てからは人の家に押しかけてハマリこむ。
弟らとプロ野球カード(サイコロで結果判定)を用いた
擬似公式戦開催に熱中。(30試合リーグ戦。擬似スポーツ新聞発行など。)
1985.4 〜 1988.3 横浜市内の公立中学校に通う。
水泳部に入部。ほぼ初心者だったが徐々に上達。自由形専門。
文化祭では台本を書くことに情熱を燃やす。(2年 ピノキオ/3年 裸の王様)
パソコンを入手(FM77-AV2)。弟とともに「三国志」「信長の野望」に熱中。
Basicでゲームを作ったり、音楽演奏を試みる。
ファミコンは「ドラクエ」「ファミスタ」などにはまる。
1988.4 〜 1992.3 横浜市内の県立高校に通う。
一年生の一学期はクラスの誰ともほとんど話をせずに過ごす。
再び水泳部に入部。自由形、長距離系を中心に。
1989.8 〜 1990.7 高校2年次に米国アラバマ州の小さな町、セルマに留学(ホームステイ)。
現地公立高校に一年間通う。
人種問題に端を発する喧嘩沙汰から学校一時閉鎖などを経験。
毎週教会に通う。ホストブラザーからギター演奏を教わる。
帰国後、一つ下の学年に編入。
(1990.9) 文化祭でクラスの出し物(ミュージカル)「孫悟空」の脚本を書く。
不条理性との対峙をテーマに(したつもり)。
ギター演奏〜後夜祭では千人に及ぶ人の前で「乾杯」を歌えて感激。
(1990.12 〜) 煙草常習者となる。3年次に部室での喫煙が発覚し謹慎処分。
1992.4 〜 1993.3 現役受験に失敗して一年間浪人。予備校に通う。
講師にも恵まれて物理学に強い興味を抱くようになる。
1993.4 〜 1999.3 大学入学。京都にて一人暮らし。
(1993.4 〜 1993.10) 合唱団に所属。
セカンドテノール。軽音との掛け持ちが難しくなって退団。
(1993.4 〜 1996.3) 軽音サークルに所属。
ビートルズを中心としたクラシックロックのコピーバンド Beaver Patrol 結成。
代表コピー曲 〜 Get Back,Abbey Road Medley(The Beatles),
China Grove(Doobie Bros.), Pinball Wizard(The Who),
抱きしめたい(はっぴいえんど) など
この他にも友人と二人で学園祭などでビートルズ流しをする。
(1993.9 〜 1995.7) 四条河原町にあったパブでバーテンダーのバイト。
学校は語学の授業に出席するのみ。バイト(&酒)と音楽とゲームの日々。
競馬と出会う。ナリタブライアンの有馬記念あたりから本格的にはじめる。
(1995.4頃 〜) 物理学とくに熱・統計力学に強い関心を持ち始める。
エントロピー概念を知り、その重要性に圧倒される。
学部での専攻は物性物理学。核磁気共鳴法(NMR)を用いて
半強磁性体の基底励起状態とその不純物効果の研究を行なう。
副専攻は社会学。社会調査法の基礎などを学ぶ。
1997.4 〜 1999.3 大学院進学。電気化学分野の研究室に所属。
当初、太陽電池の研究を行なおうと考えていたが、
路線変更してエントロピーに関する理論研究を行なうことにした。
地球のエントロピー収支を考えるうちに光のエントロピーの問題にぶつかり、
その定式化作業をそのまま修士論文とした。
太陽電池の理論限界効率の計算なども試みていた。
1999.4 〜 1999.9 東京の産業機械メーカーに就職。半年に渡る研修。
ポンプなどの機械設計(製図〜、機械工学の基礎知識)や
焼却炉や水処理場のエンジニアリングに関する基礎を学ぶ。
品質保証や知的財産の概略などについても研修を受ける
1999.10 〜 2002.1 家庭用燃料電池発電システムの開発に従事。
天然ガスから水素を取り出す改質器の運転方法の検討
燃料電池発電システムのプロセス設計 (→構成機器の仕様決定)、
温度・流量などの制御ロジック構築。申請特許5件。
機器開発の上流から下流まで広く(浅く)経験
  市場分析〜製品仕様最適化検討〜システム・プロセスデザイン〜
  実証試験計画立案および運転員〜試作機製作〜
  試運転〜サービス・客先クレーム対応 などなど
2002.2 〜 2003.1 カナダ・バンクーバーの燃料電池開発メーカーに勤務(勤務先メーカーの駐在開発スタッフとして)。
日・加 2社間の調整業務。仕様摺り合わせ、翻訳・通訳
固体高分子型燃料電池の性能予測理論の整備
(化学反応速度論に基づく過電圧の導出)
Excel VBAを用いたシュミレーションモデルを構築
 ・電気化学理論に基づく性能(電圧)予測ツール
 ・電池内部の温度分布シュミレーションモデル
 ・製品仕様最適化のためのユーザーコスト感度分析ツール
2003.2 〜2003.8 退職し新たな道を模索。旅と引き篭り(読書とゲームとジョギング)の日々。
(2003.1) カナダから帰国
(2003.2) 退職/京都・奈良・金沢・松本を廻る旅
(2003.3) 中国天津・北京を探訪
(2003.4) 箱根にて一週間にわたる 「内観」 セミナーに参加
(2003.5 〜 2003.6) 一月強にわたりヨーロッパ北部を彷徨
(2003.7) 先物詐欺被害に遭う
2003.8 〜 京都へ移り住む。文筆活動開始(ホームページ作成など)
当初、博士課程進学を考えたが一人で「研究」を続けることを決める
(2003.9〜) 市立高校にて物理実験ティーチングアシスタント(TA)
2004.4 〜 2004.12.31 市立高校に常勤講師として勤務。理科(物理)担当。
2005.1 〜 8 自給自足的な生活スタイルを求めて、農業について学ぶかたわら、翻訳業(日⇔英)をはじめる。
2005.9 〜 三重県伊賀市にある 「いが野の農園」 のメンバーに加わる。
2006.6 〜 三重県名張市の「ゆうき伊賀の里・福廣農園」での研修スタート
2007.9 〜 伊賀市東谷にて就農。「村山農場」設立
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